"SITE-CONSCIOUSNESS"~《海岸線の歩行と砂の採取》


九十九里・某地点
九十九里・某地点

 

”ただのったりと、どこまでも続くこの砂浜の単調さの中に、どんなディテールがあるのか、偏在するささいな、しかし夥しい物質の中で自分がどんな反応をするのか興味があった。
ひとたび海岸に着いて歩きはじめてしまえば、そこには日常生活にはない、きわめて快適な単調さが現れる。そして、海青色した巨大な物質を前に、約10分おきに砂を拾う。
(それは人間的な尺度と感覚が肯定できる単純な行為だ。) その時、僕が手につかむものは、世界の細部、取るに足りない本当にささいなものにしかすぎないただの砂だ。”

 


房総半島・九十九里東端・飯岡~富津岬/約350㎞の海岸線の歩行(部分)
房総半島・九十九里東端・飯岡~富津岬/約350㎞の海岸線の歩行(部分)

波打ち際の砂を500メートル毎に採取しながらの歩行    (その後、”遠州灘”、愛知・伊良湖岬~静岡・御前崎―約130km間も実施)
波打ち際の砂を500メートル毎に採取しながらの歩行    (その後、”遠州灘”、愛知・伊良湖岬~静岡・御前崎―約130km間も実施)

九十九里浜66km間の約500メートル毎の砂、150本  (幅3m)
九十九里浜66km間の約500メートル毎の砂、150本  (幅3m)

各地点の砂を封入した直径15mmのガラス管
各地点の砂を封入した直径15mmのガラス管

Facing the Horizon
Facing the Horizon

   

 

    ”僕にとって微徴のものほど感動させられるものはない。

          

    僕が最もうまく消滅できるのはそのなかである”


    J.M.G.ル・クレジオ